体(や心)のトラブルから抜け出すヒントに
気持ちよい天気です。暖かくなってきて、薄着で歩く人を多く見かけるようになりました。
一方で今はデトックスの時期。体調がいまいちな人も多いでしょう。アレルギー体質の私は、この時期に至るまでの過ごし方で体調が決まるというか。花粉症ですが花粉の飛散量と関係なく症状の重い年軽い年とあったり、それと連動して年中気を遣う皮膚症状もよい時悪い時とあります。
↑10分もするとがらっと変わってしまうんだよね。きれいでした。
皮膚といっても症状が出るのは決まって首まわりと頭皮です。
頭皮は大きなかさぶたのようなフケができて、剥がれると真っ赤に炎症を起こしている。首まわりは耳たぶの裏側からじくじくと始まって、ひどい時には耳たぶが切れてくる。
痒いわ痛いわ血は出るわで、ひどいとイライラがおさまらないこともあるのですが、薬を使うと『一時停止した』かのような塞がれた感とその後のぶり返しが受け入れられずに(お医者さんには「薬をちゃんと使わないからだ」と怒られます)悩んでいたんですよね。
この精油ならいいかな、こんな食事で変わるかな。
あれをとりいれてみようかな。いろいろ試してみましたが、よくなりそう・・・な気配はあるけどやっぱり戻ってきてしまう。
なにか違う感じがするなあ。
同じような悩みを持つ方へ、参考になるといいなと思って話しますね。
自分が望まない症状が出ているよというとき、それは
体(や心)の中があっぷあっぷになり外側へあふれ出てきている
というように考えると、ここから先ラクになっていくきっかけになるのではと思うのです。
懸命に症状が良くなるよう、それに良いといわれる成分や食品などを探しては試すという方法は、たいていが『外からある要素を取り込む』手段になっています。
これが、すでにあっぷあっぷになっている人にとっては
これ以上受け入れられない(体に入っていかない)
状態になっているわけです。ストレスで疲弊してボロボロになっているときに「あなたはこれをするといいのよ!」なんて全く新しいことを提案されても、それを受け入れる余裕もないし、実行するだけのパワーだってありません。体の中でもそういうことが起こっていると思うのです。
だからね、どうしたらいいのかというと
まずは『出す』『出していける環境を作る』。
それから(あるいはそれと並行して)『外から取り込む』。
体や心にぎゅうぎゅう詰まったものを出すための方法、
自然に出ていきやすい環境を作る方法としては
◆休む、寝る
◆ゆるめる
◆瞑想する
◆遊ぶ(単なる楽しみ・意味のない遊び)
◆締め付けのない下着や服を身につける
◆クレイなど排出力のあるものを利用する
◆自然に触れる
◆電気のある環境から離れる
思いついたものでいえばこんな感じです。
ではどんなものを取り入れるとよいか
◆精油など自然由来のものを利用した化粧品・洗剤等(体に触れるもの)
◆体が受け入れられるもの(マヒしていると判断ができない場合がありますが)
◆添加物が少ない、食品のもつ栄養や菌を生かした食事
◆汚れていない水
取り入れることばかりを頑張っていても、成果を感じにくいもの(体が受け付けないから)だというのが私自身の体験からいえることです。体の中はますますぱんぱん。
意識をしながらうまく出せるようになってくると、体の中に余裕が出てくる分、本来の体の働きや『カン』のようなものが戻ってきます。
これらを意識できるようになってから、ずいぶんと皮膚トラブルは改善しました。ふりかえれば、あんなに重だるい体でよく頑張ってたなあとねぎらいの気持ちすら生まれてきます。それだけ体が軽いんですよ。体重は変わっていません。
先日参加した勉強会で、何が体にとっていいのかみたいな話をしていた時に、
「そもそもそういう形で皮膚に症状が出る必要なんてないんですよ。なのになぜそういう方法で表に出てきたのかということです」
こんなニュアンスの言葉をもらってはっとしました。要するに出すものと入れるものとのバランスなのです。
参考になれば幸いです(*´ω`*)
サロンメニューを新しくしました。気軽に受けられるショートコースやクレイパックコースで体の軽さを実感してください(・´з`・)
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高齢者のフットケアと心の変化と
昨日は定期的に伺っているグループホームへ訪問してきました。入居者さんひとりひとりの心身の変化を感じながらフットケア(アロマトリートメントと爪角質ケア)をしていますが、個人の変化と合わせて、施設全体の変化というかうねりみたいなものを感じます。ちょうど昨日は広がりをもった軽い空気が流れていて、入居者さんの中でも気持ちの面で積極性が出てきたり、明るく会話したり、健康状態が快方に向かっていたりというかたがいらっしゃいました。
これは以前の写真ね♪
いつのまにか、気づいたら足のかたちがこんなことになっていた。治るのだろうか。
フットケアではこんな質問をいただくことがあります。気持ちとしては「ええ♪ここをこうしてこうするとね、ほら治るでしょう♪」なんてぱぱっと解決できたらと思うのですが、実際は「やってみないとわかりませんね・・・。とにかく時間がかかりますが」という歯切れの悪い返答になってしまいます。
それはなぜかと言うと、『継続する必要があるから』。
・長年の体の使い方の習慣
・靴や衣服を含めた、好んで選んできた服環境
・職種
・住環境
・健康状態、心理状態
大げさかもしれませんが、その人の生き方がその足を作っていて、足は体の一部であって全身のバランスをそこで帳尻をあわせていたりするので、ぱっと足だけが変わるなんてことはなかなか・・・ないのです。
こちらが勧める方法を実践していただく、そして経過を見てまた対策を考える。その間明らかに負担になっている箇所をケアし続ける。地味ですが、それを続けていくうちに自然と全身(心の状態も含めて)に変化が起こります。それをさらに足と結びつけていくんです。
緊急のもの(爪が伸びすぎて危ない、靴の中で爪が圧迫を受けている、爪が皮膚に食い込んで歩行に支障が出ている、かかとが割れて痛む、タコがあり靴を履くと違和感がでる、足部の筋肉のひきつれやアンバランス)についてはホームケアを含めたアドバイスができますのでご相談ください(ご持病や飲んでいるお薬によっては他サロンやクリニックを紹介することがあります)。
マッサージを受けたり、食事に気を使ったり、日ごろから健康に高い意識を持っている人でも、「おーいその靴履くんかい!」って感じることもあって、意外と盲点なんですよ。
爪のかたちが整っていくにつれて歩行が安定していき、以前よりも積極的にアクティビティに参加できるようになり社交性が増したケースや、靴の中で常に爪があたっているために、ご本人の自覚はないけれども慢性的な違和感のようなものがあったのか、やはり爪のケアを通して穏やかな性格が戻ってきたケース。高齢のかただけに言えることではなくて、まあ靴ってこんなもんでしょう、足ってそういうもんでしょう、と初めから本人が見ていないこともあるので。
私の施術を体験していただける機会(すみませんフットケアではありませんが)が3/27(月)に東京都府中市のkotocafeで開催される『kotocafeマルシェ』。ここに出張施術で出店します。
事前予約も受け付けています。詳細はホームページをご覧ください。
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自分が設定している「正解ゾーン」
昨日の記事の補足です。
思いのままブログを書くためにパソコンの前にいられる時間(*´ω`*)嬉しくって連投しています。
もちろん読んでくれる人に向けたメッセージではあるけれど、実際にどんなことを記事から感じているのかを知ることはなかなかできなくて。闇に向かって石を投げるような気持ちになることも少なくないわけで(不定期更新だから読む側に優しくないこちらに非があるのはよくわかってます(;´Д`))なのでコメントをくださるかた、感想は本当にありがたいです。
読んだら戻ってきてくださいね♪
この記事の娘の気持ちはわかるんですよ。それってどういうことかというと、
『自分が設定した「正解ゾーン」から外れたところにある正解を受け入れられない、気づかない』
なのです。
たとえば親子間だったり、夫婦間だったりで『愛されていると実感したい』気持ちっって必ずありますよね。それが叶わないと悲しくなったり怒りの気持ちが湧いてきたりするわけですけど、この時の『愛されてる』っていうのは、当事者のなかで勝手に『毎日好きよって言ってくれること、これが私にとっての愛されてると実感できることの正解』とゾーンをかなり狭く決めてしまっていて、そこに当てはまらない愛情表現に気付かなかったり、受け入れられなかったりというのが起きているわけです。
本当は、毎日私が作る食事を夫が残さずに食べてくれることや、私が機嫌が悪いと察知してそっと「今日は外食にしますか(敬語)」と提案してくれること(いつの間にか私の話になってますが)もすてきな愛情表現なわけで。それを「彼が無言で食べている、おいしいと言ってくれない(だから愛されてない)」「すぐに外食にしようと言いだすなんて、私が普段食事を作ることを彼は大事だと思ってないのね(だから愛されてない)」とつまり私にとっての『愛されてるという範囲』から外れてしまっているだけで、傍からみたらあなただんなさんから十分愛されてますよーということに当事者はなかなか気づかないし認めたくない、ということ。うーん、認めたくないな(笑)
これと全く同じことが、揉まずに体をゆるめる手技にも言えるのです。当事者の頭の中には『ガンガン揉んで叩いて痛いくらいの施術を受けるのが体をラクにする正解』というゾーンが決まっているために、そこから外れた答えを提示されても、結果としてからだがラクになったとしても、受け入れられない気づかないということが起こる。
かくいう私も、自然のもので体が良くなるという強い正解ゾーンを持っていることを自覚しているので(笑)なるべくフラットな目線でありたいと意識しつつも、それを立証するため、「やっぱり私の思いが正しい!」証拠を見つけることに必死なわけです(;´Д`)
自分が決めている正解ゾーンに合致するものを探して、その範囲で見つかる答えで納得したい。「スマホ 便利」って検索するか「スマホ 不便」って検索するかで結果は全然違うからね。最初からほしい答えをみんな内に持っていると。
体がラクになったかどうかと、自分の正解ゾーンが合致していれば「そうそうこれで良し」となるし、体がラクになったきっかけで新しい正解ゾーンが突如生まれると「これはすごい!感動しました!」になる。体がラクになっても正解ゾーンから大きく外れていることが気になってしまうと「ごにょごにょ・・・」となるということ。
棚の上でふがふがしてたので、かわいいねーって近づいたら襲われました。#ねこ部
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改善した『気分』になりたい(・・?
1カ月間、脱走していたネコが帰ってきて、久々に平和な空気が漂う我が家。
すぽっと無くなった体の一部が戻ってきたような感じがします(´ω`*)
ある日の娘との会話です。
娘「なんかさあ、おかあちゃんにやってもらうとさあ、肩とかラクだし動きやすくなるんだけどさあ、なんかさあ」
私「(なんかさあばっかで聞きづらいな・・・)」
娘「なんかさあ、こう、グイグイってやってもらったらいいなって思うじゃん」
私「ん?強くもんだほうがラクになるの?」
娘「いや・・・そうじゃないんだけど、かあちゃんのがラクになるんだけど、でもなんかさ、グイグイってやってもらうとやった気分になるんだよね」
私「あのさ・・・。言ってることがめちゃくちゃなんだけども。やった気分になりたいだけなの?ラクになるほうはどっちなの?」
娘「いやあ、そのお・・・ごによごにょごにょ・・・」
私自身は、残念ながら揉み返しで2・3日体が使い物にならなくなってしまうタイプなので、娘の言うことがわかるようでわからないのです。
自分の体感を信じて考えると、やみくもに肩をもむ行為って、筋肉の走行を無視して組織を壊すことなのではないか、その修復作業をせっせとしているのがつまり揉み返しで、やっと壊れた筋肉や組織が回復しても修復痕というかつなぎ目のようなものによって組織のしなやかさが失われていくのではないか。
体の組織の循環不良として、老廃物がある個所に溜まって排出しづらい状況がある。それがこりとか痛み、あるいは皮膚に目に見える形で炎症として起こるなら、その『詰まってる・滞ってる』環境に対していかに動きをもたらすか、自然な流れを作るかっていうのを考えるのが普通だろうなあと。
よくたとえ話として『悪い空気がこもっている部屋』を挙げるのだけど、部屋をぶんぶんがちゃがちゃ振り回したり(実際にはできないことだけどね)、部屋をひしゃげてみたり潰してみたりしたら、中の悪い空気は多少出ていくだろうけどもう部屋の中はぐっちゃぐちゃに家具やら道具やらが壊れて散らばって、壁はこわれるわ窓は外れるわで片付けが大変だろうと思うのです。
悪い空気がこもっているならまず窓を開けるでしょう。空気の通り道さえ作ることができれば放っておいても自然と空気は流れていくんですよ。
窓が開けにくいのならそれを手伝うし、もっと効率よくサーキュレーターみたいなのを導入したいのなら相談にのる。私がしたいのはそういうことなのですが地味なんだろうか。派手に部屋をぶっ壊されたほうが納得するんだろうか。
その、地味な施術を体験できる機会が3/27(月)に東京都府中市のkotocafeで開催される『kotocafeマルシェ』。ここに出張施術で出店します。
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クレイとアロマを使った花粉症ケア
へあぁぁーっくしょん!
数年前に花粉症デビューした私ですが、花粉の飛散量に関係なく症状が軽い年・重い年とありまして、今年は激重。先週は3年ぶりにかかりつけの病院へ(花粉症とは別件で。3年ぶりの時点でお医者さんからも忘れられてそうだけど)行きお薬をもらうほどの不調にも見舞われ、ちょっと引きこもり気味です。
我が家では息子もかなり重い花粉症・・・だったのですがやはり年によって波があるようで。今年はけっこう辛いなと鼻声でもぞもぞと話しています。
あるとき、「ちょっとこれは(鼻と目の周りの不快感)どうにかならないのか」ということになり、息子にクレイパックをすることになりました。
【花粉症の息子にクレイパック】
◆グリーンイライト 40g
◆両目はローズウォーターを含ませたコットンで覆っています
彼は超くすぐったがりなので、クレイが顔に乗るとわーわー騒ぐわけで。
「ひゃあ冷たい!うええむずむずするう」
・・・家族なので無視して手を進めます(´-ω-`)
こんな感じに。
これでクレイがどう反応するかなあなんて眺めていると、画像見てもわかりにくいかもしれませんが、鼻の横のところがかなりぎらついてきてるんですよ。鼻の下のところも普通は乾燥しやすい箇所なのですがこのときはかなりゆるくなっていました。
クレイを外してからがまた大騒ぎで。クレイパックした部分のお肌がすっかり白くなってしまって、息子の顔が仮面をつけたみたいに目の周りだけ白くなるという笑。
ある程度時間が経てば馴染むから大丈夫ー。いやオレ今から部活なんだけど!みたいなやり取りの末、精油をブレンドしたスプレーを持たせてマスクにスプレーするように(友達とシュッシュ遊びに使うなよという意味)念押しして送り出しました。ふう。
アロマもこういう時役に立つのですが、刺激に敏感になっている肌につけるのに抵抗があって。私はいまのところスプレー+マスクのように、香りを吸入できる環境を作るような使い方を好んでいます。
〇ユーカリラディアタ
〇ペパーミント
〇バジル
〇ラベンダーアングスティフォリア
この4種をブレンドしました。
※以上参考までに。実践する場合は、クレイやアロマについて知ったうえで、ご自身の健康状態を考慮して行ってくださいね。
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若さを求める心の裏側は・・・
勉強会に参加してきました。形成外科医の天海恵子先生による「プチ整形」のリスクとメリット。それから愛媛で漢方薬局をされており、ご自身で化粧品の開発も行っている稲井孝至先生による「望診法」。
小松和子先生のアトリエで。なんて素敵な空間☆
人の外見って、かっこいいとかきれいとか、若いとか老けているとか、そういう美的なものの価値がとても大きいように思います。これで〇歳若返る!みたいな売り文句の化粧品があったり、目をぱっちりと見せたい・しわをなくしたいとかやっぱり思ってしまう。若さ=美しい みたいなものを少なからず私たちはイメージとして持っているようです。
望診法によると、人の健康状態というのは顔の色や艶、できものの位置等の情報から予測することが可能だということ。ある疾患を持つ人の顔にはあるパターンの症状が起こっている確率が高く、治療家は人の顔の状態や会話しながら得られる情報をもとにある程度判断をすることができるのだそうです。そういえば、私が子どもの頃は、お医者さんにかかると胸や背中をトントンと叩かれていたような。あれのことでしょうね。
顔の一部の黒ずみやできもの等が、具体的な疾患と結びついているという見方ができるということは、逆に考えれば「肌が美しく艶があり、色もよい状態というのはつまり健康であるといえる」ということ(100%じゃないからね)。
現在のように細かな検査ができるような医療技術がなかった時代を長く過ごしてきた私たち人間には、この『人の外観から相手の健康状態を察する能力』というのが潜在的に受け継がれてきているのだろうなと思うのです。
そして、そのわかりやすい表現が『若さ』なのかなと。生き生きとし、ハリがあり、弾力があり、くすみのない顔。これにヒトとして潜在的に惹かれてしまう。
健康な相手と子孫を残したい・・・みたいな生物的な憧れが、若さを求めるというところにつながっていくのかな。なんてことを考えていました。
実際、皮膚は、外界からの情報をキャッチして身を守る最前線としての働きと、からだという水分だらけの塊をうまく収めている膜としての働きとを持っていて、皮膚が適度に水分や油分を保ってよく働くことができる状態では免疫力もしっかりと働き心の面でも安定して過ごすことができます。つまり皮膚が健康的であるということは、体や心が健康的であるということ。
生物的により優位でありたいという本能なのか潜在意識なのか、そのせいなのでしょうね。「ああ、この整形だったらアリだなあ、あとはお金かあ・・・」なんて真剣に考えてしまった私です(´-ω-`)
肌の乾燥やニキビ、指先の荒れなど、体の表面にある症状というのは、外からの刺激に対して反応したもののこともあるし、体の中の状態を表していることもある。
単に「荒れているから何かつけたら治る」ってものではないんだね。体に取り込むものや肌に触れるものについて見直すところから健康づくりは始めないと。
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「足りないものを補う」以外の発想~新しいバランスへ移行するときに必要なもの~
前回記事の続きです。
まだお読みでない方はいったん読んでからまた戻ってきてくださいね。
両手に荷物を持っている。それを運びたい。でもそれを果たせないあら困ったというときに、自分に足りないもの(体力や筋力)を補わなきゃ運びきれないじゃない!解決しないじゃない!
という展開で終わりましたが他にも解決方法があるんですよ、ということで。
えー他にも方法なんてあるかしら。考えてみましたか?
さびねこごっさん。深夜こたつから顔出して考え事してる姿。眠るわけでもなく、毛繕いするでもなく。#ねこ部 #さびねこ
きっとたくさん方法が浮かぶと思います。たとえば
・道行く人に荷物を運ぶのを手伝ってもらう
(人の力を借りて新たなバランスを作る)
・タクシーに乗ってえんやこら運ぶ手間をカット
(バランスを維持するための筋力体力の負担を抑える)
・台車を使う、自転車のかごにのせる
(便利な道具を使って新たなバランスを作る)
他にも、荷物を率先して持ってくれる彼氏を作るとかハリーポッターにお願いして魔法の力でなんとかしてもらうとかドラえもんにお願いするとか、強い追い風を待ってその勢いを借りて進むとか坂道を転がって・・・とかなんとか。
なーんだあ、そういうワザを使ってもいいんだあ、って思った人。意外と実生活でなんでも自分で力づくで乗り切ろうとしてるんじゃありませんか?道行く人でもタクシーでも台車でも(ドラえもんでも)いいので使ってください。
人に頼むのが苦手だからできない、お金がかかることはもったいない、便利な道具を探すのが面倒、そう思っている間は残念だけど結局今まで通り自力でちょっと無理してるなあと薄々感じながら荷物を運ぶ、あるいは頑張ってさらに筋力や体力をつけていくほかないのかなと思います。必要なのは新しいバランスのとり方へ移行しても大丈夫という勇気です。勇気。
ふうん、勇気かあ。と素直にうなづいてくれた人、ありがとうございます。ぜひ試してみてください。
前回の記事で言っていたこのことにまだ触れていませんでした。
『でも、そのバランスの取れた状態をらくらく維持できる人と、維持するのが大変!という人と、ちょっとしたことですぐにバランスを崩してしまう人とがいる。その差は一体なにかなあ。
それはね、バランスが取れて安定している普段の状態(見た目にいびつか整っているか関係なく)を保つことが、その人にとって自然か不自然かではないかしらと私は思っています。』
つまり、荷物を両手に持つ前の自分自身のバランス状態にそもそも無理があると、そのあと外部からやってきた新たな状況に対応しづらくなるよね、ということ。
荷物を手に持っていない、完全フリーの自分の状態。筋力がどうとか体力がどうとかでなく、今の自分のままで安定しているのかどうか。
心の面がなんだか落ち着かない感じがする。体のほうがどうも重い気がする。そういう場合は手に荷物を持つ前からバランスを維持するのが難しかったり、すぐにバランスを崩しそうにふらつきやすくなってしまいます。
ほら、やっぱり体力つけなきゃダメじゃん。
いいえ。それ以外の方法もあるんです。それは
『いま体の中にあるもの(心の中にあるもの)を外へ出すこと』
あれを身につける・手に入れるという視点から離れて、すでにたくさんため込んでいる自分の中のものを外へ出すこと。簡単な言葉でいえばデトックスです。
体内に知らず知らずのうちに取り込んでいる化学物質には、人間の生き物としての感覚を麻痺させる働きがあります。ああこれでは自分自身のバランスを保てないな、という判断自体ができなくなっている。そういう人が多いのではないかと。
人間の長い歴史の中で、これほど多くの化学物質に触れる時代というのは今までなかったでしょう。要するに『不自然』。それまでのような感覚を持って生きていくことが困難になるのです。
内臓で化学物質が分解されるほうに多くの栄養が使われてしまっているのか、内臓の分解能力以上の化学物質を取り込んでいるのかしているために、人間本来の自然な状態から離れてしまって、自分で自分のバランスのとりどころがつかめなくなっているんじゃないのかな。なにかが変だという漠然とした不安や不調の解決策のひとつに、デトックスを加えてみてください。
私から提案できることは、例えばクレイを使ったセルフケア。体内の毒素を排出する助けになります。それと暮らしの中で使っている日用品の見直し。化学物質を取り込む量について考えてみるという作業です。
いつだって体は一番安定した状態になることであなたを守ろうとしています。今に不満や無理があるのだとしたら、それは新しいバランスへと移行する勇気を出すタイミングかもしれないよということ。
そして取り込むことで良くなる・解決するという考え方だけでなく、外へ出す・排出することで状態を良くする、バランスをとるという考え方を足してみてください。
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ひもを体に巻いて巻かれて楽しむワークを取り入れています。
自分の体を見直すきっかけに。新しい発見がありますよ。
クレイを使った体の調整法と合わせて楽しくやっています。
『クレイ体験と体をゆるめる交流会』
3月6日(月)10:00~12:00
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「足りないものを補う」以外の発想~いつだって最善のバランス~
年度末へ向かうこの時期、一年間のまとめに取り組んでいる人や新しい生活の準備中の人など「春からはこんな自分で」というイメージを持って期待している人が多いころだと思います。ちょうど季節も寒く厳しいときからふんわりとした暖かい時期へ移行するところですし、ゆるんで暖かくなって広がっていく、そんなイメージを体で感じているんだろうなと思います。四季がある日本っていい国だわ。
変化していく・上昇していくといった前向きな思考の中に「自分に足りないものを補うことで充実させていく」という考え方が根底にある人は少なくないと思います。ここが良くなればもっとうまくいくのに。あそこが悪いからダメなんだ。こんな考え方のことです。
「足りていない今現在の自分」がベースにあって、よそから何かを補うことで完成するような気がしている。
私の考え方はこうです。
「その人にはあらかじめ全て備わっていて、今のその時がその人にとって最善のバランスである」
これがベース。状況が一見良くても悪くても、その人にとってその状態が一番いい感じなんだよねということ。いい状況をいい感じと理解するのはまあわかるけど、悪い状況もまたいい感じっておかしくない?
例えば熱が出ちゃって寝込んでる、もうしんどい!って場合でいえば、外からウイルスが体内に侵入して増殖している現実に対して、体内の免疫反応がちゃーんと作動してウイルスと戦っている結果発熱している。そうやって元の健康な状態に戻りたいなと体がバランスを取ろうとしているいい状態。しんどいけれど。
例えばうわあ、あの人と今日も一緒に仕事するのかあ嫌だなあって場合でいえば、奔放で自分勝手で言いたい放題のあの人を見るとなんて思いやりのない人なんだろうって腹が立つ、・・・私だって本当はあの人みたいに何も気にせず振る舞えたら楽だなって思ってるけど・・・周りの迷惑とか考えないのかしら、悔しい!ムカつく!そうやって自分の心をかき乱す人の存在から自分を守りたい、いつもの安定した状態に戻りたいなと体がバランスを取ろうとしているいい状態。腹立たしいけれど。
バランスが取れている落ち着いた状態っていうのは、なにも左右均等の美しいかたちだけじゃない。左右の手に違う重さの荷物を持とうというときに、体をよじってバランスをとる人もいれば、一歩はまっすぐに腕を下ろして一方は肘を曲げて持つことでバランスをとる人もいるだろうし、力ずくでバランスをとる人もいる。見た目がいびつでも、その人にとってはその状態が一番荷物を持ちやすい状態、いいバランス。
でも、そのバランスの取れた状態をらくらく維持できる人と、維持するのが大変!という人と、ちょっとしたことですぐにバランスを崩してしまう人とがいる。その差は一体なにかなあ。
それはね、バランスが取れて安定している普段の状態(見た目にいびつか整っているか関係なく)を保つことが、その人にとって自然か不自然かではないかしらと私は思っています。
両手に荷物を持つその人に十分な筋力と体力があれば、多少無理な格好をしようが重いのを我慢しようが目的地まで荷物を運べる。でも筋力がない人だったらすぐに腕が痛くなってしまうだろうし、体力がなかったらあるところで力尽きて座りこんでしまうかも。
あーあ、私にもっと筋力があったらなあ。体力があったらなあ。
ほら、やっぱり自分に足りないものを補わなきゃ解決しないじゃない!
そう思う展開になってはいますけど、他にも解決方法があるんですよ。
少し長くなってきたので次の記事に分けることにします。
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ひもを体に巻いて巻かれて楽しむワークを取り入れています。
自分の体を見直すきっかけに。新しい発見がありますよ。
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感じる皮膚、考える皮膚
最近興味があることのひとつが『皮膚の感覚』です。
自分で腰を触ってもなんともないのに、他人に触れられると(いや、触れられる前からすでに)むずむずくすぐったく感じるのはどうしてだろう。そんな誰でも一度は考えたことがある事柄。
ある人とは触れたときにとても「馴染む」感じがする一方で、また別のある人とは違和感を感じる。感触の違いとはまた別のものを感じ取っている気がする。それはどんな違いを感じているんだろう。
皮膚の下には痛みや温度を感じ取る神経が張り巡らされ、細かな圧力を感じ分けて、触れたものの詳細を知ることで体を守るシステムがあります。
そして皮膚の表面には角質と呼ばれる層があって、新しい皮膚細胞が真皮から生まれ押し出されるようにして表面へせり上がっていく「死んだ細胞」と言われていますが、この隙間に水分と油分をうまく保持することができると、体を外界からの刺激から守るバリアとしての機能を充実させることができる。
私が知ったのは『皮膚自体が感覚器として働いており、キャッチした情報について考えた結果を知覚神経や免疫システムへと伝えている』という研究結果でした。
ものに触れたときの細かな感触や、それに付随する言葉では説明できないレベルのニュアンスを、死んだ細胞と呼ばれている角質層が感じ取っている。
それは体の持ち主である私にすら自覚できないようなレベルのとても優れた、精妙な(ああ!この言葉が使いたくてたまらないのです)働きなのです。
ひもを体に巻くワークをしていて本当に不思議だと思うのは、締め付けて固定するわけでも拘束するわけでもないのに、ある場所にひもを巻くことで体が決まった反応をすることです。皮膚がひものわずかな感触を感じ取って、それと体とが連動しているということなのですが、これを体験してしまうと、身につけているどれもそれもが私の体にどんな影響を与えているんだろうかと考えざるを得なくなります。
あなたが身につけている服の素材やサイズ感、形、色、締め付け具合。
これらが居心地の良さ(気分を含む心の状態)や健康状態に少なからず関わっているよということです。
「え?私が着ているもののせいで不健康になってる可能性があるってこと?」
そういうことです。まずはそういうものを見分ける体の感覚が本来誰にでも備わっていることに気付いてください。
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自分の体を見直すきっかけに。新しい発見がありますよ。
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『クレイ体験と体をゆるめる交流会』本日もありがとうございました。地に足が吸い付く!#クレイテラピー #さとう式リンパケア
意地の張り合いを誰が先にやめるのか(´・ω・`)
こんにちは。久しぶりの更新になります。自分でもどうやって文章を書いていたのか忘れかけていたのですが、なんとか戻ってきました(笑)
きっかけは今年初めに参加した『松葉舎開校イベント』での江本伸悟さんの体験授業(タイトルをメモし忘れました『サンゴ礁という群れに心はあるのか』というテーマ)・森田真生さんの講演『「身の丈に合わない理想」を生きる場所』でした。東京大学で物理学や数学をそれぞれ専門にされてきた若い学者さんの話に、新年早々頭の中を(いい意味で)ぐしゃぐしゃにされてしまい、ブログに何を書いたら良いかさっぱりわからなくなっていました。
松葉舎ってなんだ?と思われた方はこちらのリンク先をご覧ください。私の言葉では説明しきれないのです。
どうしてもゲームで例えてしまうのですが、ロールプレイングゲームでの旅の途中に新しい大陸に続く道を見つけてしまったような感じです。とても大きな大陸がその先には広がっていて、今までと全く違う環境があり私のやりかたは役に立たなそう・・・という空気がふんだんに感じられる。
ふんふん♪と同じ大陸のちょっと先の町を目指して歩いていたのに、偶然そんな道を見つけてしまって。目的地を目指すという大筋は変わらないにしても、この偶然見つけた道を通って向かいたい!そういう気持ちだけははっきりとしているのですが、なにぶん初めての土地で勝手が分からないし今までの思い込みや装備品を捨てないと進めないという不安。混乱していました。
それがどいういうこと(新しい大陸におけるテーマ)なのかすら、まだはっきりとしてはいないのですが、今ひねり出せるキーワードは
人における頭「知的な活動」とこころ「情動的な活動」には明白な区別がないこと
『これが自分だ』と感じている範囲というのは、自分の肉体よりもさらに広くて、家族単位や町単位、国単位、どこまでかわからないけどとにかく広いこと
自分が自分だと思っていたことが全部ぐっちゃぐちゃに崩れてしまったのです(去年からわりとそんな事ばかり続いているので驚きませんが)。他人と自分の境界線ってあるんだろうか。
他人と自分を比べて悩むなんて意味がなくなっちゃうなー(だってその他人さんも自分の一部だから)。客観的とか論理的にまとめたものであっても、その出発点は感情的なものだったりする。もうどうしたらいいかわからないよ・・・。
一方で、私という肉体的な感覚から学ぶことも続いています。立つ・歩く・座る、その動きの見えるところと見えないところ。
体の動きと意識とを連動させることで、新しい(というかかつてを思い出す)体験ができます。肉体感覚から見えてくる「自分だと思い込んでいたもの」もまた、それまでの私の理解をぐっちゃぐちゃにしています。
そこでこのタイトルです(なんの脈絡もない感じがしますが、私の中ではつながっています(;´Д`))。『意地の張り合いを誰が先にやめるのか』。
あの人が、あの場所が、あのときが、私をこうさせているんだという考え方をもう捨てていいんじゃないかと思っています。
勝手にあの人を立たせ、あの場所を作り、あの時をこしらえて、それらにぐるぐるひもを巻きつけてぴんと張り、グイグイとひもの端を引っ張り続けて疲れだのの苦しいだの辛いだの言っている。
ひもを引っ張り続けなきゃいけないのはあちらが引っ張ってくるからだと言う。確かに相手から勝手にひもを巻き付けられていることだってあるだろうけど、そんなことはどちらでもよくて。
要は今すぐに引っ張るのも引っ張られるのもやめてしまえばいい。そして先にやめるのはあの人でなく、あの場所でなく、あのときでもなくて、今ここにいる自分から。
武術研究家の甲野義紀先生は『相手の力に拮抗するようなやりかたでなく、相手の力とは全く違う方向へ力をかけることによって新しい動作を生む』というようなニュアンスのことを言っています。武術未経験の私は、それを自分に置き換えてみました。意地の張り合いという力比べから降りてしまおう。
感覚だけでここまで書きつらねて申し訳ないのですが、まだそれを理論立てて説明するだけの頭がないので今日はここまでで。
次回の『クレイ体験と体をゆるめる交流会』は2月20日(月)午前中です。夜の部も検討中。参加希望の方は「○曜日の夜にやってほしい」などリクエストくださると助かります。