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ウズマキさんちのレシピ

東京府中市の猫まみれセラピスト。緩めること癒すこと。

意地の張り合いを誰が先にやめるのか(´・ω・`)

つれづれ

こんにちは。久しぶりの更新になります。自分でもどうやって文章を書いていたのか忘れかけていたのですが、なんとか戻ってきました(笑)

きっかけは今年初めに参加した『松葉舎開校イベント』での江本伸悟さんの体験授業(タイトルをメモし忘れました『サンゴ礁という群れに心はあるのか』というテーマ)・森田真生さんの講演『「身の丈に合わない理想」を生きる場所』でした。東京大学で物理学や数学をそれぞれ専門にされてきた若い学者さんの話に、新年早々頭の中を(いい意味で)ぐしゃぐしゃにされてしまい、ブログに何を書いたら良いかさっぱりわからなくなっていました。

 

 

 

松葉舎ってなんだ?と思われた方はこちらのリンク先をご覧ください。私の言葉では説明しきれないのです。

www.shingoemoto.com

 

 

 

 

どうしてもゲームで例えてしまうのですが、ロールプレイングゲームでの旅の途中に新しい大陸に続く道を見つけてしまったような感じです。とても大きな大陸がその先には広がっていて、今までと全く違う環境があり私のやりかたは役に立たなそう・・・という空気がふんだんに感じられる。

ふんふん♪と同じ大陸のちょっと先の町を目指して歩いていたのに、偶然そんな道を見つけてしまって。目的地を目指すという大筋は変わらないにしても、この偶然見つけた道を通って向かいたい!そういう気持ちだけははっきりとしているのですが、なにぶん初めての土地で勝手が分からないし今までの思い込みや装備品を捨てないと進めないという不安。混乱していました。

 

 

 

それがどいういうこと(新しい大陸におけるテーマ)なのかすら、まだはっきりとしてはいないのですが、今ひねり出せるキーワードは

 

 

 

人における頭「知的な活動」とこころ「情動的な活動」には明白な区別がないこと

 

 

『これが自分だ』と感じている範囲というのは、自分の肉体よりもさらに広くて、家族単位や町単位、国単位、どこまでかわからないけどとにかく広いこと

 

 

 

自分が自分だと思っていたことが全部ぐっちゃぐちゃに崩れてしまったのです(去年からわりとそんな事ばかり続いているので驚きませんが)。他人と自分の境界線ってあるんだろうか。

他人と自分を比べて悩むなんて意味がなくなっちゃうなー(だってその他人さんも自分の一部だから)。客観的とか論理的にまとめたものであっても、その出発点は感情的なものだったりする。もうどうしたらいいかわからないよ・・・。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BNvdN6eDQlK/

Instagram

 

 

 

一方で、私という肉体的な感覚から学ぶことも続いています。立つ・歩く・座る、その動きの見えるところと見えないところ。

体の動きと意識とを連動させることで、新しい(というかかつてを思い出す)体験ができます。肉体感覚から見えてくる「自分だと思い込んでいたもの」もまた、それまでの私の理解をぐっちゃぐちゃにしています。

 

 

 

 

そこでこのタイトルです(なんの脈絡もない感じがしますが、私の中ではつながっています(;´Д`))。『意地の張り合いを誰が先にやめるのか』。

あの人が、あの場所が、あのときが、私をこうさせているんだという考え方をもう捨てていいんじゃないかと思っています。

勝手にあの人を立たせ、あの場所を作り、あの時をこしらえて、それらにぐるぐるひもを巻きつけてぴんと張り、グイグイとひもの端を引っ張り続けて疲れだのの苦しいだの辛いだの言っている。

ひもを引っ張り続けなきゃいけないのはあちらが引っ張ってくるからだと言う。確かに相手から勝手にひもを巻き付けられていることだってあるだろうけど、そんなことはどちらでもよくて。

要は今すぐに引っ張るのも引っ張られるのもやめてしまえばいい。そして先にやめるのはあの人でなく、あの場所でなく、あのときでもなくて、今ここにいる自分から。

武術研究家の甲野義紀先生は『相手の力に拮抗するようなやりかたでなく、相手の力とは全く違う方向へ力をかけることによって新しい動作を生む』というようなニュアンスのことを言っています。武術未経験の私は、それを自分に置き換えてみました。意地の張り合いという力比べから降りてしまおう。

 

 

感覚だけでここまで書きつらねて申し訳ないのですが、まだそれを理論立てて説明するだけの頭がないので今日はここまでで。

次回の『クレイ体験と体をゆるめる交流会』は2月20日(月)午前中です。夜の部も検討中。参加希望の方は「○曜日の夜にやってほしい」などリクエストくださると助かります。

www.reservestock.jp

かさかさかかとの扱い方~すべては常に最適なバランスという視点~

やわらかい心と体を作るナチュラルケア フットケア セルフケア

寒くなってくると相談として増えてくるのが『かかとの乾燥・ひび割れ』です。

ぱっくり・・・まではいったことがないけれど、やんわりとかかとにヒビが入ったくらいの経験ならある私。立っているときや歩行時の踏み込みの際のぴきーんという鋭い痛みが辛いのです。

 

 

 

 具体的なケアの方法については、こちらにまとめてあります。

 

 

uzumakiaroma.hatenablog.com

 

 

uzumakiaroma.hatenablog.com

 

 

uzumakiaroma.hatenablog.com

 

 

まだ読んでいない方はぜひともご一読を!

 

 

それでね、この記事たちの中で私が一番強調したいのは、『お手入れしたかかとの皮膚を、できるだけなるたけとにもかくにもなめらかに仕上げようとしてほしい』というところなのです。

 

 

 

ここからまたいつもの話につながりますが、からだって意識を向けただけで様子が変わってきます。いままでかかとのことなんて考えもしなかった。乾燥して皮膚に厚みがでてきて、靴下をはくときに引っかかり出してようやくかかとに気持ちを向けた。でもそれって「あー、このかかとじゃ不便だなあ。まったくもう!」というお邪魔虫的な扱いであることがほとんどなんですよ。自分の体に向かって「あなた(がさがさかかと)は不便だし見てくれも悪いし迷惑だからいなくなってほしい」という見方をするっていうのはとても残念な話なのです。

 

 

 

実はね、からだというのは常に最適なバランスであると言えるのです。普段は『からだのバランスが崩れると心身が不調になる』みたいなことを言っていますが、そのほうが説明がしやすいしイメージしやすい・・・ので使っていますけれど、本当をいうといつだってその人のからだっていうのはバランスが取れている状態なのです。痛みが出るということでバランスをとっている、歪ませることでバランスをとっている、病気という形をとることでバランスをとっている。そういうことです。

 

 

 

 

かかとの話でいえば、かかとの皮膚を乾燥させて厚くすることであなたのなかでバランスをとっているのです。言い換えればあなたがかかとを乾燥させて厚くする心身の状態でありそういう生活をしていることでバランスをとっているよね、ということ。あなたがこれまで毎日気持ちよく生活してきたその一部を、あなたのかかとがかさかさになることで支えてきたのです。

 

 

 

 

ですから、ある日突然「なんであんた(かさかさかかと)がここにいるのよ!迷惑!今すぐ消えて!」なんて言われたらかかとはどう思いますか?そう悲しみます。それにきっとこう答えますよ。

 

 

 

「あなたを支えるためにこう(かさかさに)なったんだよ。何がいけなかったの?しくしく・・・」

 

 

 

あーあ。泣かせちゃった。

この感じだと、ごーりごーりと厚くなったかかとを削っても、「ひどい!こんなにかかとを荒らされたらあなたを支えられないのに!どうしてわかってくれないのよー」とかかとはさらに皮膚を厚くして保護しようとする。お互いに意地の張り合いになります。

 

 

 

ここで冒頭の話に戻りますが、『お手入れしたかかとの皮膚を、できるだけなるたけとにもかくにもなめらかに仕上げようとしてほしい』というのは、言い換えると『かかとに対して「今までありがとね。これからは厚い皮膚を作らなくても大丈夫だよー。かさかさかかとでなくても大丈夫な私になるからねー」という気持ちでケアするってことなのです。私の個人的な経験から言えば、湯船に浸かっている間に、親しみを込めてかかとをやさしく撫でるだけでも乾燥の度合いが変わります。それにそうやってかかとをいたわる気持ちが出てくると自然に保湿クリームを塗りたくなったり、いまかかとの状態はどんな感じかなーとチェックしますからね。

 

 

 

間違っても「ええいこれでもか!」とか「親の仇!」「かさかさかかとくたばれえい!」「うおりゃあああああ!」みたいな気持ちでケアをしないように。サロンのお客さんにはよく話しますが、自分をかわいがる、自分の体に愛情を注ぐって目線を持つととたんに人って変化します。からだってそういうものです。

 

 

彼らの肉球への愛情の注ぎ方はいいお手本。とっても丁寧にお手入れしてます。

https://www.instagram.com/p/BOyMJFpj2Uh/

下から見上げてみた。#ねこ部